鉄道連絡船

2024年06月26日 18:00

国鉄が分割民営された1年3か月後に、北斗星に乗って函館へ行きました。お目当ては3月13日をもって運航が終了となった青函連絡船が、6月から9月までの3カ月間、復活運航したのに合わせて乗りに行った次第です。
函館で北斗星のヘッドマークを付けたED79の脇には羊蹄丸。北斗星を牽引して札幌へ向かうオリジナルのDD51がチラッと見える光景を一枚の画像に収めました。
P367 1988.06.18 1_000 ED7915 羊蹄丸 北斗星 函館
1988.06月 函館駅。


2023年09月18日 18:00

1988年9月18日、青函連絡船の最終日、函館青森を羊蹄丸で往復します。
臨時便の運航は、青森係留の十和田丸が一日かけて函館を往復し、羊蹄丸が函館係留で青森を往復していました。
右の発車時刻には快速海峡4号の掲示が見られます。
P199 1988.09.18_1 1_020 青函連絡船 羊蹄丸 函館桟橋

青森に着き、一度下船して再び函館への乗船客となりました。
桟橋では、青森駅の社員がさようならの横断幕を掲げて、見送ってもらいました。
P199 1988.09.18_3 3_000 青函連絡船 羊蹄丸 青森桟橋 (2)

普段、海峡上ですれ違う時はかなり離れて離合しますが、この時は互いの乗船客の姿がよく見えるくらいまで接近し、汽笛を鳴らしあいながら離合しました。最終日、最終便の雰囲気は最高潮でした。
P199 1988.09.18_3 3_023 青函連絡船 十和田丸

夜、函館山からの羊蹄丸です。まだ火を落としていません。
P199 1988.09.18_3 3_034 青函連絡船 函館桟橋
1988.09.18 函館桟橋



2023年09月17日 18:00

35年前の1988年9月18日をもって青函連絡船が廃止となりました。
この半年前に青函トンネルが開通していますが、トンネル開通と同時に連絡船は廃止になる筈だったのですが、廃止を惜しむ声で半年間臨時便で運行することになりました。
最終便に乗るべく、9月17日に函館に入り函館山で青森からの十和田丸の入港を狙いました。
港に入る十和田丸を待っている、補助汽船のかつとし丸。この仕事もあと二日です。
P198 1988.09.17_2 2_019 青函連絡船 函館桟橋

お尻に取り付き、目一杯の力で回旋していきます。
P198 1988.09.17_2 2_022 青函連絡船 函館桟橋

もうちょっとで着岸です。
P198 1988.09.17_2 2_024 青函連絡船 函館桟橋

一仕事終えていつもの場所に帰ってきました。
P198 1988.09.17_2 2_027 青函連絡船 函館桟橋
1988.09.17 函館桟橋





2023年09月12日 00:00

昨日の、湧網線を行く際に乗船した十和田丸です。
船内にあった客室案内図、欲しかったな~
レプリカ作って販売してくれたら買うんですけど。
P193 1980.09.12 001 十和田丸

グリーン指定席です。一人掛け、白い座席カバーが眩しくて、座りたかったですが、雑魚寝の普通船室が関の山の時代です。
P193 1980.09.12 002 十和田丸 グリーン指定船室

船内にあった「サロン海峡」。昼行便は結構お客さんが多くて忙しかったと聞いていますが、夜便はお客さんの入りは今一つです。メニューも多くなく、壁にはアイスコーヒー350円、クリームソーダ350円と書いてあります。
自分は、食堂で海峡ラーメンか、イカ尽くし定食でした。
P193 1980.09.12 003 十和田丸 サロン海峡




2023年06月27日 18:00

函館桟橋に着岸する十和田丸の後ろから、補助船かつとし丸がエッホエッホと押しまくります。
1988年3月に青函トンネルが開通しましたが、青函連絡船が半年の約束で、復活というか延長運行が実現しました。延長が終わった後も、北海道へは、北海道から、船でと言うのが忘れられず、行か帰りには青函フェリーや津軽海峡フェリーを利用していました。
P128 1988.06.18 2_036 十和田丸 函館桟橋
1988.06.18 十和田丸 函館桟橋

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