客車・貨車

2024年12月27日 18:30

1988年10月、前月の9月にパリを出発したオリエント急行は、いよいよ日本国内で団体列車として走り始めました。これは当時の、フジテレビジョンの開局30周年を記念して企画された事業でした。
10月から約2カ月の間日本国内を走り回り、36年前の今日12月27日にヨーロッパへ返却されることとなり、下松の日立製作所へ回送されたときの一コマです。P476
DE10-1514に押され、静かに工場へ入っていくオリエント急行。



2024年12月23日 18:30

今の列車の暖房は電気が当たり前で、と言うか、今の若い方に暖房の熱源は?と聞けば電気と答える方がほとんどと思います。稀に、焚火のような直火と答える方もいらっしゃると思いますが・・・
国鉄時代の非電化区間は、電気がありませんから蒸気を発生させた蒸気暖房がありました。車両の所々から白い蒸気を出している光景は風情がありました。P474
山陰本線田儀駅

2024年12月05日 18:30

山手貨物線の五反田付近を通過する、ゴハチ牽引のスロ81を撮りに行きました。
カマ次位のスロフのグリーン帯が消されており、このあと他の車両も随時帯が消され、グリーン車の威厳が消えていきます。
P458
1980.11月 五反田

2024年12月01日 18:30

東海道本線東京を発車して行くブルートレイン20系の愁眉を飾るのは、宇野行「瀬戸」でした。
編成の前と中ほどにナロネ21を付けた14両編成で、19:25に宇野に向けて発車して行きました。
この後は、約2時間後に21:30発の寝台急行銀河1号、紀伊の大阪、紀伊勝浦行でした。
少年撮り鉄は、銀河まで居ると自宅に帰るなり、親に「遅くなるまで遊んでいやがって」と怒られましたから、よっぽどのことが無い限り「瀬戸」を撮って帰宅しました。
P455
丸いおでこのナハネフ22は今も良いデザインだと思います。

P456
ナロネ21は特に少年には高嶺の花。



2024年11月29日 18:30

1978年8月、大阪駅で発車を待つ急行だいせんのA寝台車(オロネ10)とスロ62(だったか?)の連結面ですが、貧乏高校生ではとても乗ることが出来ない憧れの車両でした。特に、デッキの上に表示されている「A寝台」の文字には惹かれました。P454
1978年8月 大阪駅

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