2023年02月18日 19:10
高輪ゲートウェイ駅が出来る前は、皆さんご存じの東京機関区、品川客車区、田町電車区がありました。
東京南鉄道管理局の代表する車両基地群でした。
その真ん中辺に西側と東側を結ぶ地下道がありました。車1台がやっと通れる幅と、頭が道の天井に付くくらいの高さで、タクシーの行灯殺しの異名がありました。正式には高輪橋架道橋と言う、高輪地下道という道です。
40数年前、国道15号の日本食堂品川営業所の横から地下道に入り、頭の上を走る山手や京浜東北のガードを潜ると地上に出られる幅が細い階段がありました。階段を数段上がると札ノ辻群線の真ん中に出れました。この通路は、ブルートレインの食堂車に乗務するコックさんや、ウエイトレスさんの通勤経路だったのです。
午後も遅い時間になると、その日に出発するブルトレが並んで停まっており、機関車が付く前の姿をパチリと1枚撮って地下道を泉岳寺駅まで戻るのでした。

1978頃 ナハネフ22 あさかぜ オハネフ25
東京南鉄道管理局の代表する車両基地群でした。
その真ん中辺に西側と東側を結ぶ地下道がありました。車1台がやっと通れる幅と、頭が道の天井に付くくらいの高さで、タクシーの行灯殺しの異名がありました。正式には高輪橋架道橋と言う、高輪地下道という道です。
40数年前、国道15号の日本食堂品川営業所の横から地下道に入り、頭の上を走る山手や京浜東北のガードを潜ると地上に出られる幅が細い階段がありました。階段を数段上がると札ノ辻群線の真ん中に出れました。この通路は、ブルートレインの食堂車に乗務するコックさんや、ウエイトレスさんの通勤経路だったのです。
午後も遅い時間になると、その日に出発するブルトレが並んで停まっており、機関車が付く前の姿をパチリと1枚撮って地下道を泉岳寺駅まで戻るのでした。

1978頃 ナハネフ22 あさかぜ オハネフ25